わたしは、Emacsと言うテキストエディタを使って、日々の記録ノート、日記を書いています。
テキストエディタですから、日々のノート(わたしの中では「暮らしのノート」と呼んでいます。)はテキストデータになります。
古今東西、こうしたノートアプリは山のようにあります。
今の時代、なぜこの古参エディタを使うのか?
そこにツールとしての意味合いがあるのか?
そうしたことを考えるだけでも楽しいエディタであると感じたので、こうしてEmacsをまとめる文章を書いてもよいだろうと思いました。
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正直なところ(初心者が扱うには)、とても使いやすいテキストエディタではありません。今なら、流行りのVisual studio codeをおすすめします。
なので、いきなり矛盾した理念に悩まされています。
いつも「なぜ、このEmacsというエディタを使うのか?」を考えています。
理由はそれぞれに思いつくのですが、なかなか上手い答えが出せず、文章という形にすらできていません。
直感的に面白いソフトだから使っているとも言えます。ただ、これではあまりに雑すぎるので、何とか自分なりに自分がスキだと思う根源を見つけたいのです。
そこで、このサイトでは、そうしたEmacs初心者がツールに対して何を思い、どう使っていくかの記録を残しておこうと思った次第です。
まだ、使い始めて二ヶ月のひよっこが、どう向き合っていくのか?これがこの記事のテーマの出発地点です。
Emacsとは何か?
この問いについて最も無難な答えが「テキストエディタ」だと思います。
一方、独特のバッファという機能によって、なんでもできてしまうソフトウェアとも言えます。この「何でも」というところが厄介で、今の自分にはちょっと手に負えないところがあります。
しかし、この手に負えない部分にこのエディタの自由さが潜んでいるように思います。
その面白さのひとつは、吊るしのソフトウェアではない点です。つまり、そのままでは使い難いが、自ら手当してあげればこの上なく便利なテキストエディタに生まれ変わります。初心者が言い切れるのは、先人の記事や本を読んでそう確信しているからです。
また、わたしの周り(主に職場)にはEmacs使いがいません。(もしくは隠れているのかもしれません。)
ほぼ、ネット上のメンターさん、Google先生、二冊の教科書に頼りつつ、Emacsについてメモしていきます。
到底、Emacsを語る資格もろくに無く、スキルもキャリアも(まったく)ありませんが、少なくとも、スキであることについて書く自由はあるだろうと信じています。
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杉咲について